部史
ここでは國學院大學辯論部の歴史について、簡単にご紹介します。
当部のあゆみ
國學院大學辯論部の萌芽は明治25年(1892年)と伝えられており、本学の母体である皇典講究所(明治15年創立)内に國學院が設置された明治23年とほぼ時期が重なります。ただし、学生組織として体裁が整ったのは、大学令により大学に昇格した大正9年(1920年)の頃、すなわち創立の地・麹町区飯田町(現・千代田区飯田橋)から現在の所在地である「渋谷」に移転した大正12年前後のことです。このことから、当部OBOGである論友の名簿に記された初代は、大正12年高等師範部卒(本学31期)の2名となっています。いずれにせよ、本学でもっとも歴史ある部会の一つであることに間違いありません。
爾来、当部は幾度もの興亡を繰り返しながらも、部員は本学の建学の精神に則り、弁論に関わる活動を通じて相互に研鑽し合い、人格の陶冶に努め、社会に貢献することを目指してきました。なお、当部はこれまでに、神職・学校教職員・各種公務員・国会議員・新聞をはじめとするマスコミ界・実業界など多彩な分野に多くの有為な人材を輩出しており、その数は450余名を数えます。
高校生弁論大会の歴史
当部は通常の弁論活動に加え、昭和14年(1939年)以来、戦時中の中断を経ながらも70余年にわたり、高校生を対象とした弁論大会の開催に携わってきました。発足時は関東大会として始まり、翌々年には東日本、昭和31年には全国へと規模を拡大し、「全日本高等学校優勝雄弁大会」と名称を改めました。その際の出場者は41名で、会場となった大講堂には300余名もの聴衆が詰めかけました。
翌年の大会を報じた「学報」によれば、審査員には後援団体である文部省(当時)や読売新聞社の関係者の名が見え、芦田均や淺沼稲次郎など政治家からはメッセージも寄せられ、優勝者には文部大臣奨励賞が授与されたとあります。なお、この時代に文部省が後援した高校生対象の大会としては、本大会のほかに文部大臣杯と文部大臣旗の争奪大会があり、これらが権威ある三大大会と称されていました。
昭和も晩年になると応募原稿数が次第に減り、運営する部員数も目に見えて減少しました。平成10年代には当部独自での運営が厳しくなったため、主管部署が大学(広報課)に代わり、当部は原稿審査や当日の運営補佐を担うにとどまりました。そして、高校における弁論熱の衰退なども重なり、平成21年(2009年)をもって大会は休止となり、70余年の歴史に幕を閉じました。
大学生弁論大会の歴史
大学生を対象とした弁論大会については、当部の姉妹組織である第二部雄弁会が、昭和30年代初めから約20年間にわたり、本学中興の祖と言うべき石川岩吉理事長・学長(本学3期)の名を冠した「石川杯争奪優勝雄弁大会」を開催しました。この大会は、学内の第二部学生を対象としたものでした。
そして、40年余の空白を埋めるべく、令和2年(2020年)11月、日本道義の発揚に努めた石川名誉学長の遺志を令和の今に引き継ぐとともに、学生たちの新たな弁論発表と知的交流の場を設けたいとの願いを込め、当部として初の全国規模の大学生弁論大会を開催いたしました。

鎌田理二郎杯・安川忠正杯が行われる百周年記念講堂

第136期 幹事長

第135期 幹事長
宣明
当部で受け継がれてきた宣明文をご紹介します。
宣明文は弁論部員が活動する上での核となる理念を示しています。発声練習を兼ねて読み合わせることもあります。
我等は本大学の言論機関として、内外に建学の精神を宣明せんとする弁論部の目的に鑑み、
部員相互の人格の陶冶、学の研鑽に専心努力し、以って民主国家建設に貢献せんとするものであります。
